今年で大杉は29歳。
気づけばもうすぐ30になろうとしています。
子どもの頃に想像していた29歳はもう少し自立していて大人だと思っていましたが…
この歳になってもサッカーさせて頂いてることに、自分が一番驚いてる次第です。
さてさて、そんな20代最終章のこのタイミングで、自分の歩んできた軌跡を振り返ろうと思いまして…
というのも、ありがたいことに、最近私の経歴について興味を持ってもらえることが増えました。
そこで、ここまでの経験を文章にすることで、読者の方々に少しは面白いと思ってもらえるのではないかと。
また、試合を見てくださるお客さんは、選手のストーリーやバックグラウンドを知ったうえで観戦することで、ただ見るよりもより楽しく観戦できると思いました。
では、そんな私の経歴はというと。

https://www.jleague.jp/player/1632364/#gk
小学校2年生のとき。近所の友だちに無理やり連れていかされた体験入団でサッカーと出会い、
最初の練習試合でドッジボールが強いからという理由でGKをやらされてから、
ここまで11チームにお世話になり、サッカーをしてきました。
この記事では、そんな私のサッカー人生の中でよく質問をいただくオーストラリア時代について書きたいと思います。
大卒でオーストラリアへ
日体大では、とにかくプロの世界に行くことだけを考えて過ごしました。
卒論のテーマも「セービングの動作分析」。サッカー部のGKの身体中にモーションキャプチャーをつけ、フォースプレートの上でダイビングをしてもらい、分析。
卒論でさえうまくなるための肥やしにしようと。
しかし、1年〜3年まではBチーム。
4年生になり、ようやくAチームに上がって試合に出ますが、プロからのオファーはありませんでした。
周りの友達はちらほら就活をスタートしだして、大きな決断を迫られるこの時期。
「一度きりの人生なんだから挑戦しよう」と思って、競技続行に振り切りました。
結果、日本体育大学卒業後、すぐにオーストラリアへ渡豪。
オーストラリアにした理由は、
・海外への憧れ(最初の海外生活としては難易度低め)
・サッカー選手として成長したい
・引退後のことを考えて英語を習得したい(英語が話せる人かっこいいから)
・サッカーでお金を稼ぎたい(オーストラリアなら試合出ればそれなりに稼げると聞いた)
大卒という就活の特権を捨てるには、なんとも漠然としすぎてる理由でしたね。
片道の航空券と根拠のない自信だけ持って、飛行機に乗りました。

メルボルンの鉄道は、cityを中心にvictoria州各所に枝分かれして広がっています。その中心に位置する駅がこのFlinders Street Station.魔女の宅急便のモデルになったらしい(諸説あり)映える駅ですね。
オーストラリアでのトライアウト

オーストラリアのリーグ構造はすこし特殊なんです。
- 1部リーグ
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Aリーグ(Australia league)。オーストラリアから10クラブ、ニュージーランドから2クラブの12クラブ。
過去には小野伸二選手や三浦知良選手、本田圭佑選手などがプレー。現在は酒井宏樹選手や水沼宏太選手などが在籍。
- 2-4部リーグ
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NPL(National Premior League)。オーストラリアの8つの地域ごとにリーグがあり、NPL1~3くらいまである。シドニーがあるNSW州のリーグ(NPL NSW)と、メルボルンがあるVictoria州のリーグ(NPL victoria)の2つが、環境や待遇、競技レベルが高いと言われてる。
今年からこのNPLのトップレベルのチームが16チーム集まり、2ヶ月間のAustralia Championshipが始まった。
NPLとAリーグは全くの別リーグなので昇降格はない。
わたしがいた当時の外国人枠は、NPL1が2人、NPL2-3が4人くらい?
わたしはハーフシーズンで、NPL1victoriaのKingston city FCに移籍しました。
- 5部リーグ-
-
State league。NPLの下にあるリーグで、Victoria州では、EastとWestに分かれていた。
わたしがオーストラリアに来て最初に契約したMalvern city FCというクラブはこのState league1でした。当時はNPL3がなかったので4部相当でしたね。
日本のリーグで例えると、J1の直下に地域リーグ(関東リーグ、関西リーグ、九州リーグ…)がある感じなのかな。
今シーズン、NPL1 victoria(2部)のビッグクラブ同士の試合(South Melbourne vs Preston Lions)に9000人以上、シーズン最後のGrand finalには1万人以上来たらしいです。
2025 Grand Final recap。雰囲気グー。
オーストラリアの中ではサッカーは、footy(オーストラリア版ラグビー)、ラグビー、クリケットあたりの次くらいにくるスポーツだと思いますが、かなり熱が高まってきてるんだと思います。
わたしは、卒論やらJリーグの練習参加やらで1月にオーストラリアへ行きました。
より上のカテゴリーでやりたいなと思っていましたが、NPLの開幕は2月末だったので、すでにNPLのチームの外国人枠はほとんど埋まっていましたね。
よって、代理人と相談し、当時4部相当のState leagueでチーム探し。
とあるチームのトライアウトに参加することになりました。
Malvern city FC(当時4部)と契約
着いて2日目にトライアウトでした。
エージェントから、チーム名とグラウンドのアドレスだけ渡されてここに何時に行ってこいって言われて。
google mapを頼りになんとかクラブハウスにたどり着きました。
スマホさえあればどこへでも行ける自信がついた瞬間でした。

1日目のトレーニングではアフリカやヨーロッパから20人くらいトライアウトがいましたが、2日目のトレーニングでは半分ぐらいになってました。
ある日プレジデントに呼ばれて「契約したい」と言われました。
しかし、そこから条件の話などは出てこず3週間後くらいに
「監督の知り合いのGKが来ることになったから、君はいらない。ごめんだけど、他に行って。」と言われてしまいました。
当時は「取るって言ってたじゃん。」「余計な時間使わせやがって。」とむかつきましたが、今考えれば、実力不足、経験不足でした。海外下部リーグではよくあることなんですよ。
海外でサッカーをするってことは、自分が外国人選手になるってこと。
その国の選手よりも圧倒的な何かがないと、貴重なvisa枠を使おうと思わないわけです。(当時の4部リーグは、外国人枠4?5?くらい)
特にGKは、外国人枠を勝ち取るには難しいポジションだと言われています。
やはり結果に直結するFWやDFなどのセンターラインから最初に埋まってくので、相当の評価を得ないと外国人GKとして生き残っていけないんですよね。
その時の監督としては、「まだサインしてないし、彼(監督知り合いのGK)が来てくれるならコイツはいらないか」くらいに判断されたんだろうな。
そんなこんなでState league開幕まで残り3週間位になってしまいました。
オーストラリアに来て、バックパッカー宿泊代と食費でだんだん貯金がなくなるのに焦りながらチームを探していたら、最初に契約することになるMalvernが練習試合に来てほしいと連絡してくれました。
結果、オファーをもらって契約。晴れて大杉のサッカー選手としての生活がスタートしたのです。

ちなみに、NPL以下のクラブはだいたい、練習は週2-3。
契約は試合給。
試合に出ればいくら。勝てばプラスいくら。クリーンシートでプラスいくら。
みたいな感じでした。
オーストラリアはAリーグ以下だと、一部ビッグクラブ除き、ほとんど同じような感じだと思います。
Suburbのクラブは家がついたり仕事紹介してくれたりしますけど、なかなかレアケースかと思います。
語学学校にも行ってたので学費がかかるし、サッカーの給料だけでは生活できなかったので、日本食レストランでパートタイムとUber eatsしてました。
生活サイクルは、
練習がある日 学校→ジムで筋トレ→トレーニング
練習がない日 学校→パートタイムor Uber eats
パートタイムでは寿司を作ったりラーメンを作ったり。ほとんどlocalのお客さんなので英語でレジ打ち接客もやりました。貴重な経験。
オーストラリアサッカーに興味がある人は参考になればうれしいな。もう5年以上前の情報ですが。笑

当時シェアハウスしていたButler Streetの皆さん。と、変な日本人留学生。
ぎりぎり間に合ったState league開幕戦は、ウノゼロ勝利でした。

試合風景。State leagueの試合では、スタンドがないグラウンドのほうが多かったです。

試合後は、ビールで乾杯。
Kingston city FC(当時2部)に移籍
Malvern city FCは、クラブ愛が強い関係者が多く、チームメイト同士もめちゃくちゃ仲が良くて、いいチームでした。
本当に。
試合にも全部出てたし、活躍した日には必ずスブラキ(ギリシャ料理)を奢ってくれるコーチもいました。
オーストラリアでは試合後、ホストのクラブが食事を出して敵味方審判観客関係なくみんなでご飯を食べるんですね。
そこでのチームメイトや監督コーチと飯を食べる時間がすごく楽しかったし、すごく居心地が良かった。
しかし、NPL1でプレーする目標を持っていたので、ここにいてはいけないと思いながら過ごしていました。
そんな中、ハーフシーズンで、NPL1のKingston city FCからオファーが。
Kingstonは、Malvernと同じグリーク(ギリシャ)コミュニティのチームでした。
メルボルンは移民がたくさん住んでいて、国ごとにコミュニティがあります。
サッカークラブもそのコミュニティの影響を受けているので横のつながりが強く、選手の情報がすぐに回るんですよね。
そのためハーフシーズンでの移籍もけっこう頻繁に行われます。
彼らは当時NPL1で最下位争いしてました。
それでも私からしたら、目標としていたカテゴリーだったし、自分の実力を試す絶好のチャンス。
Malvernとは少し残念な別れ方でしたが、ハーフシーズンで移籍することにしました。
大杉のオーストラリアでのプレービデオです。毎試合youtubeでライブ中継あります。試合の雰囲気なども見れると思うので、興味ある方はぜひ。

残念な髪型でフォトセッション
最近では多くの日本人選手がオーストラリアでプレーされていますが、日本人GKでNPL1victoriaでプレーしたことある人いるのかな?
いなかったら唯一の日本人GKなのかな。俺も激レアさん呼んでくれないかなと思う次第です。情報お待ちしてます。

残念な髪型で練習中の大杉。
メニューはだいたいパスコントロールとサーバー付きのスモールコートゲーム。最後はゲーム。
Kingstonには長年イングランドで仕事をしてたGKコーチ(60歳)もいて、しっかりとオーガナイズされたトレーニングができました。

髪型を少し修正してホームゲームに臨んだ大杉

オーストラリアでのプレーで一番成長したプレーはクロスボール処理だと思ってる
結局チームは降格しました。
めちゃくちゃ悔しかったですが、確かな手応えを感じたシーズンでもありました。
よくオーストラリアサッカーのレベルを聞かれるのですが、結論、日本と単純に比べることはできないと思いました。
フィジカルやスピード、シュートスピードなどの身体能力を比べると、相対的にオーストラリアの方が高いと感じましたが、タクティクスやプレースピード、判断、パスの質、特に技術の面では圧倒的に日本人選手のほうが高いと思います。
GKとして感じたことは、オーストラリアでは比較的コースを狙うコントロールシュートよりも、回転数が少ない重いシュートが飛んできたし、
「この態勢からはそんないいシュートは飛んでこないだろう」と予測しても強いヘディングシュートが飛んできたり。
あと、クロスボールやゴール前で上に上がったボールに出ると、突っ込んできます。基本的に止まらないし、ギリギリで避けてくれる選手は少なかったと思います。
あと毎試合乱闘あります。

身長が低いので、CKやロングスローでは狙われることが多かった。体重を増やして、筋トレでも重量を上げました。結果、体のバランスが崩れて動きのキレが落ちて細かい怪我が増えた。でも試合に出なきゃお金をもらえないので、痛み止めを飲んで試合に出ました。これも今につながる良い経験でした。
これもレベルやカテゴリによって違うし、ましてや5年前なんでね。しかもわたしのGKから見た感覚なので、いろんな感想があると思いますが。
Callorine Spring Georgecross(当時4部)に移籍
2019シーズンと語学学校のタームが終わり、一時帰国。
来シーズン(2020)に向けてのオーストラリアクラブからのオファーはいろいろありましたが、「もう一度日本のJリーグに挑戦したい」と思って、練習参加できるチームを探しました。
結局、JFLのチームの練習参加しましたが加入できず。
1年目は学生ビザだったので、ワーホリビザでオーストラリアに戻ることにしました。
そこで、一番熱心に誘ってくれたのが、3チーム目となるCallorine Spring Georgecross FCです。長いのでGeorgiesで。

このクラブはメルボルンの中でもかなり資金力のあるクラブで、めちゃくちゃいい環境でトレーニングと試合ができました。

オーストラリアでは、NPLのクラブはもちろん、4部以下でもほとんどのクラブが自前のクラブハウスを持ってます。Georgiesのクラブハウス「George on Vista」は、カフェ・バーが併設されていました。

天然芝2面と人工芝2面完備。試合で使うグラウンドにはスタンドも。
Georgiesでは、オーストラリアでのサッカー生活で、一番プロフェッショナルに近い環境でトレーニングできたと思います。
契約の条件もダントツでよかった。
でかいシャワールームや個別のロッカー、アイスバス。選手一人ひとりにGPSが配られパフォーマンスチェックがあったり。

シーズン開幕戦になったFFA cup(オーストラリアの全チームが参加する大会。オーストラリア版天皇杯。)では、カテゴリが上の相手に負けました。

カップ戦は負けましたが、いよいよシーズン開幕。これからはじまるオーストラリア2nd chapterにわくわくしていた矢先…

中国で始めて、コロナ感染者が確認され、世界規模での蔓延が始まりました。
これを受けて、チームはトレーニングを完全に中止。
サッカーができなくなりました。
日本にも感染者が確認され、大使館からも帰国勧告が。
「今のうちに帰らないと帰国できなくなる」「日本の国境が閉まる」
「今シーズンのリーグはしばらく開幕しない」
などなどいろんな憶測が飛び交い、非常に不安な日々を過ごしました。
契約上、試合に出なければ(なければ)お金がもらえないし、クラブに紹介されたアルバイト(工事現場の資材運び)もいつできなくなるかわからない。
貯金も減る一方。
収入がないままオーストラリアに閉じ込められるのが一番最悪。
でも、いま日本に帰ればコロナ渦で仕事も探せないし、どこのクラブの練習参加もできない…
結局この年はオーストラリアリーグは開催されず…
ここでムダに時間を過ごすより一回帰ってお金を貯めようと思い、日本に帰国することにしました。
こんな感じで不本意ながらオーストラリアでの挑戦が終了。
当時は不安ですごくネガティブな感情で羽田に着陸しましたが、今思えばこの決断がJリーグにつながったんだな。
と思うと、人生何があるかわからないから面白いとなるわけです。
人間万事塞翁が馬。
ということで次は、大杉の無所属ニート生活編。面白そうでしょ?笑
この記事が伸びたら書こうかなと思います。笑

